こんにちはー!ぼらです!(boralog_0310)
私は1番最初の妊娠で稽留流産を経験しました。経験する前に先輩ママたちの経験談をたくさん読み漁って、どんなに辛かっただろうかと思いを巡らせていても、実際に経験したのではやはり違うものです。
この記事では私の稽留流産の体験談や流産についての知識をまとめました。
流産について
流産とは?
妊娠したにもかかわらず、妊娠の早い時期に赤ちゃんが亡くなってしまうことを流産と言います。定義としては、妊娠22週(赤ちゃんがお母さんのお腹の外では生きていけない週数)より前に妊娠が終わることをすべて「流産」といいます。
日本産科婦人科学会
医療機関で確認された妊娠の15%前後が流産になります。また、妊娠した女性の約40%が流産しているとの報告もあり、多くの女性が経験する疾患です。妊娠12週未満の早い時期での流産が8割以上でありほとんどを占めます。
日本産科婦人科学会
流産の原因は?
早期に起こった流産の原因で最も多いのが赤ちゃん自体の染色体等の異常です。つまり、受精の瞬間に「流産の運命」が決まることがほとんどです。この場合、お母さんの妊娠初期の仕事や運動などが原因で流産することは、ほとんどないと言って良いでしょう。
日本産科婦人科学会
受精した瞬間に「流産の運命」が決まる…。
なんのために受精したんだろう…。
初期の流産は10人に1人は経験すると聞くし、どうしようもないものといわれるけれど、それでも自分を責める女性も多くいますよね…。
初めての妊娠!つわりが途中無くなった?!
妊活スタート
数年前の1月に主人とハネムーンに行ってから妊活をスタート。私は20歳くらいから6年以上服用していましたし、元々生理周期もバラバラ。
極めつけに平熱が35.5度とめちゃくちゃ低い。簡単に妊娠はできないと思っていました。
2月、3月と生理が来て、4月に丁度クリニックで定期健診。
せっかくなので排卵はしているかどうかをチェックしてもらいました。
予想では排卵もしていないと思っていたのですが、エコーで見ると卵胞がちょうど大きくなっていて、
たぶん今日か明日くらいに排卵しそうね!
と言われ、その日と次の日に仕込んでみると、数週間後になんと妊娠発覚!
自然妊娠ができる自信が本当になかったので、驚きを隠せませんでした。
初めての妊娠!つわりは軽度
妊娠5週目のときに初めて検診に行き、子宮の中に新しい命があることに震えました。
検診には夫も一緒に行き、2人でとてつもなく感動し、初めてのエコー写真を宝物のように何度も見直しました。
妊娠5週目後半くらいから気持ち悪くなることが増えましたが、吐いたりすることもなく、ソファーにゴロンと横になれば落ち着くレベルのつわりでした。
つわりが軽くなった?流産の兆候?
8週目くらいのある朝、つわりがなくてなぜかすごく体が軽やかだったんです。
え、赤ちゃん大丈夫だよね?!
と軽くパニックになりながらも仕事に行き、検索してみると「流産 兆候」でつわりがなくなるという情報を発見。しかしそれは科学的には解明されていないそうです。
なんとかその日を終わらせると、次の日にはまたつわりがあったので安心したのを覚えています。
稽留流産体験談inドイツ
※ここからは流産したときのことを覚えている限り書いていきます。読んで気持ちが不安定になりそうな方や妊婦さんは自己責任でお読みください。
朝からほんの少し出血が…
5月最後の土曜日、その日も仕事でバリバリ働く予定でした。朝起きてトイレに行くと、ほんの少しだけトイレットペーパーに血がついている…。
でもほんとに少しだけで下着にはつかないレベル。土曜日だしお腹も痛くないから勝手に大丈夫かと思い込み(そう願いたかった)、普通に仕事へGO。
職場についても出血は収まらず、同僚にその話をすると
え?!それヤバくない?!
今すぐ病院に行ったほうがいいよ!!!
でも今日土曜日だし、いつも行くクリニックは閉まってるんだよね。こういうときはどこの病院に行けばいいのかな。。
救急病院に行ってみよう!私シフトもう終わりだし、一緒に行ってあげる!ぼらも今すぐ上がってタクシーで行こう!!!
え?!あ、うん?!上がれるのかな。。
ちょっと!ボス!ぼらの赤ちゃんが危険なの!今すぐ病院行くからぼらはもう帰るわね!!!
という展開になり、仕事スタートして1時間で帰ることになりました。
タクシーで救急病院へ!
私はその街で働いていたものの、住んでいた場所は違うので病院のことがサッパリわかりませんでした。
すると一緒に来てくれた同僚が救急病院の名前を教えてくれ、タクシーの運転手さんに伝えてくれるという素晴らしいアシストをしてくれました。
タクシーの中での私は
赤ちゃんに何かあったらどうしよう…!?
もうパニックでそれ以外のことは何も考えられませんでした。心臓がドクドクして自分の声がどのくらい出ていたのか分かりません。
病院に着いたけれど救急車で運ばれることに…!
救急病院に着いたはいいものの、そこでは産婦人科系の対処はできないと言われ、近くの大きな病院へ行かなくてはいけないとのこと。
車もないしその病院がどこかも分からない…とオドオドしていると
大丈夫、救急車呼んだよ!
人生2度目の救急車に乗りました。少し出血していることを伝えるとベットに横になって、そのまま運ばれることに!
え?!ちょっと大げさすぎじゃない?!
と思いながらも指示された通りにしました。このときも同僚が一緒に来てくれて、心強かったです。
大きな病院に到着!急いでエコー!
15分くらいで病院に着き、産婦人科の先生と思われる女性のドクターが1人ポツンと待っていました。
待ってたわよー!調子はどう?
大丈夫そうじゃない!連絡をした人はずいぶん深刻そうな雰囲気だったわよ!
となんだか和やかなドクターで少し気持ちが安心しました。
さ、エコーを見てみましょうね!
元気に動いてるに決まってるわ!
検診に行っている病院のエコーとは違い、ハイテクな最新のエコーだったのでいろいろな色が見えて、どうなってるのか一目では分かりません。
あ、もしかしてこれですか?!
とそれらしきものが見えたような気がして安心しようとしたのも束の間。
とても残念だけれど、赤ちゃんの心臓が止まっているわ。
流産ね…。
これを聞いたときに最初に思ったことは
旦那さんごめんなさい…。
でした。ドクターに宣告されたときは悲しすぎて涙が出ずにもう放心状態。このときにドクターに言われた言葉で今でも耳に残っている言葉があります。
Das Baby war lebensunfähig.(生きることに耐えられない赤ちゃんだったのよ。)
頭が無かったり、脚が無かったり、目が無かったり、いろいろなものが備わってなかったのかもしれないわ。でもこれは運命としか言いようがないものなの。
頭が無くても、脚が無くても奇跡的に生まれて生きている人ももちろんいるわ。
でもそれはとてつもない奇跡中の奇跡なのよ。多くの場合そうはいかないの。
lebensunfähigという言葉をそのときに初めて聞いたからかもしれませんが、今でもあのときのドクターの声が思い出せるほど鮮明に記憶されています。
出血が始まってるみたいだから、手術しなくてもそのうち出てくるから自然に外に出るのを待ってもいいし、今日手術することもできるし、月曜日に手術することもできるわ。
とこれからどうしたいかをドクターに説明され、旦那さんに電話しました。
もしもし、ごめん、流産になっちゃった。
自然に出てくる可能性もあるから待ってもいいし、手術もできるしって言われたんだけど、一人でいるときに出てきたら苦しくてたまらないから、今日手術してもらいたいんだけどいい?
まじかよ…。
うん、わかった、今すぐ行くね…。
と仕事中でしたが急いで病院に駆けつけてくれました。
その日のうちに子宮内容除去手術をすることに!
土曜日だったこともあり、今日しなければ月曜日にまたこの病院に来なくてはいけないということで、その日のうちに手術することに決定。
でも月曜日になってエコーをしたら、もしかしたら奇跡が起こって赤ちゃんの心臓が動いてるかも…。
なんてことも思ったりしましたが、「そんなわけないじゃん…」ともう1人の自分がささやき、手術することに決めました。
病室に移動して手術の同意書や説明などの書類にサイン。手術まで2時間くらいありましたが夫と何を話したか全く覚えていません。
ただただ赤ちゃんをしなせてしまったことに対して謝っていたような気がします。
流産の手術は全身麻酔
いざ手術が始まるということで、麻酔科の先生がいくつか質問してくれました。
今何歳なの?
26です。
26歳!じゃあこれから10人は子供産めるね!!!
10人?!そんなに?!
と思っているうちに意識がなくなり、次に目覚めたときは病室に戻っていました。
手術が終わって病室で見たスマホが地獄
目が覚めたとき夫の姿はなく(仕事に戻っていました)、ふとスマホを見ると、LINEの通知が30!
全然鳴らないで有名な私のスマホがずっとブーブーなってるわけです。
見てみると高校の部活のグループLINE。
みんなー久しぶり!実は妊娠して結婚しましたー!
おめでとー!実は私も2人目妊娠中でーす!
という妊娠報告がまさかの4人!!!
え?これは何かの罰?
友達の結婚・妊娠はもちろんおめでたいことです!しかし流産手術後直後に聞くのはまじでキツイ!
しばらくグループLINEは続くようだったので、マネージャーに連絡して私だけ外してもらいました。
流産手術後の過ごし方は?
手術で子宮内がキレイになったものの、私の心は空っぽ。
せっかく妊娠できたのに…。
せっかく、せっかく…。
と妊娠したいオバケになってしまいました。ドクターには生理が2回きたら妊活再開してOKと言われましたが、心も頭も複雑で気持ちがバラバラ。
流産後1週間は毎日一人で家でずーっとずーっと泣きました。延々に泣きました。
初期流産は仕方がないこと。
誰のせいでもないこと。
誰にでも起こり得ること。
そんなことを理解しても心に開いた穴をどうやって埋めればいいのかわかりません。
毎日星を見るたびに、どれがうちの子だろう。と一晩中星を眺めたこともありました。
流産後3週間くらいして仕事に復帰するも、接客業なのでタバコを吸ってる妊婦さんを見ては
どうしてこの人が妊娠継続できて私はできないわけ?!
と辛くなったこともあります。子供を見るのも辛いと感じることもあったし、どうしようもなく元気が出ませんでした。
初期流産は誰にでも起こり得ること
私は流産してから半年後に再び妊娠したのですが、その半年間の気持ちのアップダウンはひどいものです。
私だけが辛いと思っていたのですが、ふとした瞬間に「あぁ、夫も辛いんだ」と気づき、そうするとぽっかりあいた穴が少しずつ小さくなっていきました。
なぜ気づかなかったのかは分かりません。
そしてどのタイミングで夫が辛いことに気づいたのかも分かりません。
初期の流産はどのカップルにでも起こり得ることで、そのほとんどが運命です。
受精した瞬間に流産する運命なのに、なぜ受精するのか…。生命の不思議ともいえますよね。
手術後のことをもっと書く予定でしたが思ったより長くなったので、それはまた別の記事に書くことにします。
最後までお読みいただきありがとうございます。
もし読んで不快になられた方がいましたら心よりお詫び申し上げます。
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