こんにちはー!ぼらです!(boralog_0310)
タイトルにもあるように今回は私の親について少し書いていこと思います。
今回は少しいつもより中身が暗い記事になりますが、同じような境遇の人がいるかもしれないので参考になればいいなと思い書き出します。
※現在の親子関係は普通です。特別な感情はありません。
うちは毒親?親の事が好きじゃない
私は気付いたときには親のことが嫌いになっていました。これは何か大きなきっかけがあったわけではなく、色んな事の積み重ねがそういう不信感に変わっていったのかなと思います。
母は毒親?私のことが嫌い?
私は大人になるまで母は私のことが嫌いなのかと思って生きてきました。大人になったときに何気なく母と話したときに、「お母さんって私のことが嫌いなのかと思ってた」と言ったら母はとてもショックを受けていました。
仕事が忙しい
母は私が小学校に入学したころからフルタイムで仕事を始めました。地元のお母さんたちと一緒に地域活性化の一環として、地元の食材を使った定食屋さんを始めたのです。
これが思ったよりも大ヒットして、母は朝8時に出勤して20時に帰ってくることも。家には祖父母がいたので私はほとんど祖父母と過ごしましたが、母は帰ってきてから明日のお弁当やごはんの準備をすることもあって、ずーっと忙しそうにしていました。
布教活動が忙しい
母は子供の頃から仏教徒で、父と結婚してからもその活動は続けており、仕事が休みの日は教会に行ったり信者さんのところへ行って話したり、とにかく忙しそうでした。
私は小さい頃からそういう母の姿やお経を唱えている姿を目にしているので、宗教に対してとくに思うことはないのですが、いつもいつも私より信者さんを優先する母の背中を寂しく見ていました。
いつも疲れている
母は基本的にいつも疲れていました。週5でバリバリ仕事をして休みの日は布教活動。のんびり私と過ごすことなんてまずなかったです。そのため母はいつ何たる時も、「座ったら寝る」人種でした。
もう本当に座って10秒で寝てしまうのです。電車に乗っていても、テレビを見ようとしても、座ったらもうそこで終了。おやすみなさいって感じでした。
話をする暇がない
そんな忙しい母だったので話をする暇が本当にありませんでした。私は子供の頃思っていることを正しい言葉を選んで伝えるということが非常に苦手な子供でした。
頭の中ではこういう風に思っていても、それが口を通して出てこないのです。
話せないでいるうちに「親が聞いて嬉しいだろうこと」だけを言うようになりました。
父は毒親?父のことが好きじゃない
地域活性化最優先
父は地元で働いていたので地域を盛り上げるということに熱心でした。少年野球の監督をしたり、スポーツイベントを開催したり、地域の人々が交流し繋がりを持てるようにと色々活動をする人です。
それ自体は素晴らしいことですが、父も母と同じく非常に忙しく外にいる時間が多く、私の記憶のなかでは小さい頃に遊んでもらった記憶があまりありません。
プライドが高い
父はプライドが高く、私たち子供が自分の同級生の子供より劣っていることに納得できませんでした。勉強ができなければ怒られる、スポーツができなければ怒られる、とくに兄たちに対しては自分の子供なのだからこのくらいはできるだろうという期待値が高かったのでしょう。
兄たちが小学生のときに成績が悪くて2時間正座してお説教されている姿を見て、「私は絶対勉強するんだ」と緊張したのを覚えています。
否定から始まる
父は基本的に否定から始まります。家族が何か意見しようものならば、ものすごい眼力でこちらを見ます。父にそういう風に見られると、私はもう緊張して何を言いたかったのか分からなくなってしまうのです。
これは今でもそうなのですが、「いつでも助ける準備はできている」と口にはするくせに、いざこちらが頼むと「それはこうじゃないのか」と結局文句を言われて終わってしまいます。
家族より周りの目を気にする
父は周りの目をすごく気にする人でした。近所の人からの視線や同僚からの視線。
中学校に私が入学したとき、私はイジメられていたので女子の運動部に入るのが本当に嫌だったんです。女子同士のめんどくさいややこしい感じがとても苦手で、男子に混じって野球部に入りたいと父に言いました。
それを聞いた父は激怒。もう般若。怖かったー。
顧問の先生は私の意志を尊重して「野球部に入っていいぞ!」と言ってくれましたが、結局女子の運動部に。最初の半年くらいは誰にも相手にしてもらえなくって地獄でした。
じいちゃんボコボコ事件
私が小学校4年生の夏休みに事件は起きました。その日は祖父が地域のおじいちゃのばあちゃんとお酒を飲む会合があって、いつものごとく祖父は飲みすぎてしまったのです。
父は祖父がお酒を飲んで羽目を外しすぎることをひどく嫌がっていましたし、その日はさらに仕事でのストレスもあってお昼時に一回家に帰ってきたときに祖父の姿を見て、日頃の溜まっていた鬱憤が大爆発。馬乗りになってじいちゃんのことぶっ飛ばしてました。
私はその日髪を切りに行く予定で、お座敷から殴られているじいちゃんを見て「神様、どうかじいちゃんがしにませんように」と祈りながら車に乗ったことを覚えています。
そして美容院から帰ると変わり果てた姿の祖父がいました。ハゲ頭だったので頭のアザもばっちり見えるし、目もぼっこり紫になって、それはそれはひどい姿でした。そこから2週間祖父は家から出ませんでした。
他にもこういう事件はいくつか。お兄ちゃんぶっ飛び事件とか。
父が怖い
私にとって父と祖父の喧嘩は日常だったので、あまり気にしていなかったのですが、子供心に恐怖心を抱いていたのかもしれません。
ある占い師さんというか、スピリチュアルな方が言ってたのですが、子供が親のことを怖いと思う親子関係って不健康なんですって。子供にとってそれは有害なのだそう。
異常な親子関係なのだそうです。
もしかして毒親?
最近毒親という言葉も存在感を出すようになりましたが、私の両親は微妙なラインだなと思います。
安全に生活する場所があり、栄養ある食事も与えてもらい、奨学金は借りたものの大学まで卒業させてもらいました。それは感謝してもしきれないことですし、有難いことだと思っています。
しかし小さい頃から父が怖いと思いながら成長しているので、大人になった今でも父に強く意見されると、とてつもない不快感と不安感が募ります。
毒親育ちが自分と向き合うために覚えておきたい3つの事
私は自分に自信がありません。やっぱりね、否定されることに慣れて育つとなかなか自信ってもてないんですよね。
自分は頑張ったつもりでも、振り返ると「やっぱり頑張ってないかも…」なんて思うことも多いです。
でもですね、そんな私でも最近思うことがあるのです。
親に褒められるための人生じゃない
これは夜中に眠れなくてTwitterを眺めていると、どなたかが書いてたんですよね。私はこの言葉にすごく共感して、「あぁそっか、私は親に褒められたかったんだな」といろいろなことが腑に落ちたのです。
でも生まれてから今まで、私がそう思っていただけで私の人生は親に褒めてもらうためにあるわけではなかったんですよね。人の優しさに触れ、自分を支えてくれる人たちに感謝し、自分なりの社会との関わり方を学んだり、毎日の小さな楽しみを見つける。
そういうことの繰り返しが人生になっていくんだなと思ったのです。
「親に褒められること=素晴らしい」という考え方が元々間違っていたのだなと気付きました。
受け止めてもらえなかったときの代償は大きい
これは私が小中の同級生に父とのことを話したときに言われたことです。私はどうしても「自分の考えを父に受け入れてほしい」とどこかで思っていたのでしょう。
でも友達にこう言われたことで「なるほど、わざわざ自分が傷つくかもしれないリスクを背負わなくていいんだな」と思ったのです。
自分の人生は自分のもの
私ぼら現在ぴちぴちの32歳なのですが、やっと、やっとやっと「自分の人生は自分のものなんだな」ということに気付きました。私はどちらかというと「女性は結婚すれば逆転できる」など、「何かをすればどうなる」という定説を信じて生きてきた側の人間だと思います。
だからドイツに来たばかりの頃は「彼と結婚するんだから」と色々と大変なことも乗り越えようと努力したのです。しかし結果は彼と別れて違う人と結婚。
自分の人生だけれどいつも「誰かのせいにして」生きてきたのだと思うのです。
夫はドイツでNo1になるほどの努力者
私の夫は努力ができる天才です。数年前にはその業界でドイツトップに選ばれることもありました。夫が功績を残してその努力が認められたことはパートナーとして誇らしく、とても尊敬していますが、その気持ちと同時に「私は何をやってるんだろう」と虚しい気持ちにもなりました。
「彼が素晴らしい=私も素晴らしい」わけではない
素晴らしい彼と結婚したからといって私自身の人生が素晴らしくなったわけではないんですよね。日々精進して新しいモノを生み出す彼をそばで見ていて、「自分は何もしていない」「私の人生はなんのためにあるのだろう」と考えることが増えました。
ブログを始める
私は何か秀でた才能があるわけでもないし、特別好きなことがあるわけでもありません。でもドイツで生活して紆余曲折し、辛い経験や悔しい思いをたくさんしたからこそ、もしかしたら誰かの役に立つかもしれないと思ったのです。
もうすぐブログを始めて1年になります。発信しよう!と思うようになったことで、スキンケアが好きになったり、自分の人生を思い返すきっかけになったり、ブログを始めて本当によかったなと思っています。
モヤモヤは言葉にして話すことが大切
つくづく思うのですが、思ってることや形がない感情を言葉にするってすごく難しいですよね。
私は本当にそういうことが苦手で下手くそなのですが、友達との関りや夫との関りのなかで、「言葉にしたことを真剣に受け止めてくれる人がいる」ということがいかに有難くて温かいことなのかを実感しました。
「自分の親なのだから分かり合いたい」と思う気持ちがゼロになったわけではないのですが、親とはいえ他人。自分とは違う生き物なのだから私の価値観と違って当然。
もう親に認められようとする自分は解放して、自分が好きなことをやりたいなと思えるようになりました。
仏教の教えで「話すと離れる」というものがあります。人に話すことで執着している気持ちや消化できない気持ちが離れていくのだそうです。
もし今自分の親との関係で悩んでいたりモヤモヤしている人がいたら、ゆっくりでいいので言葉にしてみてください。周りに話す人がいなければぜひ私に教えてください。
いつでもメッセージお待ちしております♪
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