こんにちはー!ぼらです!(boralog_0310)
最近ブログのネタ切れ感が否めないぼらろぐです。私の脳みそにある記憶のなかで皆様に有益な話はもうほとんどしているはず…。
他になにかお伝えしてないことないかな…?と思って考えたところ、私がこの10年の間に経験した辛かったことや悲しかったことなどをまとまって書いてない気がする…!?(小出しはしてます)ということで、今回は10年間を振り返って、くぅー!世知辛いぜ!という経験を紹介しようかなと思います。
アトピーで体が辛かったのは今まで散々書いてきたので、今回はそれ以外のお話です。
ドイツ生活を通して泣いたこと7選
たぶん他にもいろいろと辛かったことはあると思うのですが、なにせ頭の中のキャパシティーが既に満杯でして、いろんなことを思い出せない32歳です。今回は記憶にあるものを紹介します。
職場のボスの指導に泣いた
これはドイツで初めて日本食レストランで働いた時の話です。当時シェフとシェフィンがいまして、アルバイトを始めたばかりの私には常にシェフィンが隣にいて、あれこれと教えてくれていました。
しかしあまりにも私が飲食業初心者すぎて、彼女はつーねーにー!私の耳元で、「ぼら、そうじゃないわ」「ぼら、違うわ」「ぼら、何してるの」とメンヘラの恋人ばりにピタッとくっついてくれちゃいまして、本当にきつかったです。
ドイツに到着して2ヶ月後からバイトしたのですが、ドイツ語もほんの少ししかわからん上にシェフィンの囁きは、ジワジワと精神的に参りました。2週間くらいは毎日ピタッとそばにいて教えて頂きました。
毎日辛くて泣きました。
初年度の外国人局の対応に泣いた
ドイツ在住で自分で滞在許可証の申請をしたことがある人はご存じだと思うのですが、外国人局って名前のアルファベットごとに担当者が変わりますよね。
私の名前の担当者は信じられないほどやる気がない人でして、「えー?ワーキングホリデービザなんてございませんー(鼻ほじほじ)」的なことをいうぶっ飛んでいる人で、外国人局で働いているにも関わらず、ビザの種類も把握していないような人だったのです。
ドイツ1年目の私のドイツ語なんて鼻くそみたいなもので、外国人局の役人にケンカ売れるほどの能力なんて持ち合わせていないわけですよ。
アトピーが極限に悪化した状態×滞在許可が取れるか不明瞭=号泣
と言う感じでもうもうもう、このときばかりは日本に帰りたかったですねー。後に他の担当者さんに確認してもらったところ「ワーホリの存在は確認したけれど、この町では一度も申請されたことがなくて知らなかったのかもしれません。」とのことでした。
ケバブ屋さんでドイツ語をバカにされて泣いた
これはドイツ1年目の終わりか2年目の始め頃の話です。当時住んでいた家の近くに街で一番美味しいと噂のケバブ屋さんがありました。料理が下手くそな私は、ちょこちょこケバブを食べていたのですが、何を思ったかその日は「自分の分は自分で注文しよう」とケバブを買いに行った同居人についていきました。
何と言って注文したのかは記憶に残っていませんが、まぁ普通に1つくださいと頼んだはずです。そーしーたーらー!「おぉーお嬢ちゃん、そんなドイツ語じゃダメダメだぜー」とケバブ屋のきったねーおじさんに言われたんですよ。
「まだペラペラ話せるわけではないけれど、最近聞き取れるようになってきたかも♪」とルンルンした気持ちで買いに行ったわけです。そしたら小馬鹿にされまして、私悔しくてお店の中で涙を止めることができませんでした。
きったねーおじさんにしてみれば、コミュニケーションのつもりだったかもしれませんが、当時の私の精神状態にはとてもとても悲しい一言だったのです。
お店で涙が止まらなくなった私は「もういりません」と言って同居人を残して先に家に帰り、えんえん一人で泣いていると、私の分のケバブも同居人が持って帰ってきてくれました。
大学入学が大変で泣いた
22歳の私はとにかく大好きなドイツ人の彼と一緒にいるためにドイツに来ました。だから目標があるわけでも、フルタイムの仕事があるわけでもありません。そんな人間がワーホリ終了以降もドイツに長期的に滞在するには、結婚するか学生ビザをゲットするしかないわけです。
ほんで彼は結婚できない男だったので(離婚調停期間中)、私が頑張って学生ビザをゲットするしかなかったのですが、それが超大変!
日本の大学の成績表やドイツ語の能力証明などをuni-assistとかいう機関に送って、そこから希望の大学に願書が送られるわけですが、当時の私のドイツ語力はたぶんB1くらいかなぁ?まーできない子だったんですよね。
その私がそれらの手続きを一人でこなすのはまじで至難の業。彼に助けてもらいたくても「僕は分からないよ」というだけで何も助けてくれませんでした。もう何もかにも上手くいかなくて、全部投げ出したい気持ちだったのに、「日本に帰る」という選択肢が全くなかったなぁと今でも覚えています。
友達ができなくて泣いた
これは今でもそうですね。でも今はTwitterを通して知り合った方々とお会いできて、以前よりも格段に孤独を感じる機会は減りました!
しかし当時。住んでいる街に日本人はいましたが、みんな年上ばかり。22歳の小娘からすると35歳のお姉さま方とお友達になるには敷居が高すぎて、全然友達できませんでした。
語学学校で友達にならないの?と思うでしょ?これがですねぇ、そのときのVHSのコースには子供がいる35歳以上の人しかいなくて、話しが合わないんですよ。
大学で行っているDSHのコースに行けば友達できるんじゃない?と思うでしょ?これがねー、サッパリできないのよ。たぶん私がそういうオーラを出していたか、ただただ嫌われていたかのどちらかですね。(涙)
イタリア人にバカにされて泣いた
そしてドイツに住んで5年目くらいかな?結婚したばかり位の頃、当時の職場にイタリア人がいまして、この人がめっちゃ意地悪。ブロンド美女だけに優しくてそれ以外の人間はゴミみたいに扱う人で、アジア人のことなんて見下していたんでしょうね。
韓国人の団体のお客様が帰った後のテーブルを見て「見ろよ、豚が食った後みたいに汚いテーブルだ」と言ったり、アジア人の食べ方や振る舞い方が気に入らないタイプの人間だったんでしょう。
ある日私のドイツ語にケチ付けてきまして「ぼら、Rを言ってごらん。LじゃなくてRだよ。wwwwwwwwwwwww」みたいに、私のRの発音が悪いことを死ぬほど小馬鹿にしてくれまして、他の同僚も悪気なく私の発音を真似して笑っていました。
でも私大人になっていたので、お店では泣かずに家に帰ってから泣きました。アホみたいにウォッカをがぶ飲みして、日本人の友達に泣きながら電話で愚痴りながら寝たんじゃないかな。
でもですよ?でもね?Rの発音は悪いかもしれないけれど、その日の売上は私の担当したテーブルのお客様が1番ですからね?チップもたぶん私が一番多くもらったと思うんですよ?それってしっかり私のドイツ語が通じているからじゃないんですかね??
ドイツ人の恋人と別れて泣いた
これはまぁ、国際恋愛に関わらず恋愛は続くこともあるし続かないこともありますよね。私は当時付き合っていた彼が好きで好きでドイツに来ました。彼と一緒にいたくて、そばにいたくて、ただそれだけのためにドイツに来てしまいました。
それが良くなかったんでしょう。自分の存在意義を見出すことができず、全てのことに彼の助けが必要なことがもどかしくて苛立たしくて、どんどん自分のことが嫌いになっていきました。
そして心の中が蝕まれていくと、見た目も言葉遣いも全てが枯れていき、もうそこに愛はなくなっていたのかもしれません。
彼との話は別の記事にしたいと思っているのですが、なかなか文字に書き起こすことができずにいます…。
ドイツ生活は愚痴を話せる相手がいるといいかも!
ドイツ生活だけでなくて、海外生活は日本と勝手が違う分、日常の些細なことでも心に積みあがっていく可能性大。そんなときに誰にも話さないで自分の中にためていくと、心が疲れていきます。
友達でもパートナーでも、あるいはTwitterでも愚痴を聞いてもらえる相手がいることがすごく大事なんじゃないかなーと強く思います。
ツイ友さん!いつも本当にありがとう!!
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